Chapter 10


 もうひとつの

「地球の歩き方〜リマ編」(3)


知られざるリマのチェックポイント



§§ ピスコサワー発祥のバーと
          修道女のレストラン §§

セントロの一角、Jr.Ucayali(ウカヤリ通り)に“L’EAU−VIVE DEL PERU”というレストランがあります。
 フランス系のキリスト教団の経営で、実際の運営は修道女がやっているのだそうです。
フランス語は無知、キリスト教にもほとんど知識を持たない私ですが、このレストランだけはみなさんにご紹介しておかねばなりません。
 夜は7時のオープンで9時30分がクローズという、およそペルーでは考えられない営業時間です。
 夜社会のペルーでは、9時30分といえば、「さあ、これから〜」という時刻です。
その時刻にはクローズしてしまう〜キリスト教団の経営たる所以でしょう。
 とするとこのレストラン、あまり人気がないかというと、意外にもリメーニョ(リマっ子)の通の間では知られた店だそうです。
 かつては華やかな繁華街で、趣のあるどっしりとした建物が並ぶこの界隈も、いまは荒れて、歩くのも要注意のエリアとされています。
 そんな建物のひとつの入り口を入ると、高い天井に威厳のある柱、控え目な照明で、なるほどレストランというよりは教会の雰囲気に近いものを感じさせます。
 もちろん、教会などではなく、既存の建物を使用しているのですが、宗教的な雰囲気にはうってつけの構造になっています。
 テーブルにつくと、オーダーをとりにやってきたのは私服姿の修道女でした。
スタッフはすべて思い思いの私服でサービスしています。
 このレストランの売り物は2つあります。
ひとつは料理がおいしいこと。
 その秘密は、この教団の活動が世界各地に亘っていることです。
修道女は、世界のいろいろな地で修行をするために各地を転々とします。
 生活はどの地においても基本的に修道院の内部で、当然食事もすべて自分たちで作ります。
 すると必然的に、その国・その土地の食材を使ってできるだけおいしいものを作ろうとします。
 そうした経験の積み重ねから、材料・調味料・香辛料などの特色を活かしたおいしい料理のノウハウが蓄積されていくというわけです。
 そういえば日本でも、北海道のトラピスチヌス修道院のお菓子に定評があるのも同じ背景を持っているのかもしれません。
 落ち着いた雰囲気の中でおいしい料理……。

〜ところが8時半になると突然食事が中断されます。
 このレストランのもうひとつの売り物、賛美歌が始まるのです。
館内のスピーカーが、これから賛美歌を歌うことを告げ、客にも斉唱を勧めたあと、修道女が各テーブルを回って色刷りにしたきれいな歌詞カードを配って歩きます。
 そのあと、数人の修道女が壁際に少しずつ離れて整列し歌い始めます。
フランス語とスペイン語で書かれたその歌詞カードを見ながら、客も歌います。
 レストランでの、それも食事を中断しての賛美歌斉唱。
普通だと「なんだそれ?」となるところですが、不思議に何の違和感もなく、束の間の聖なる時を、客も納得して声を出して歌ったりハミングしたりしています。
 “ Ave Maria ♪♪♪…”
 そして、ひとときの荘厳な雰囲気が終わると、そのあとはどのテーブルでも人々は歌詞カードを眺めつつ、それを話題にふたたびテーブルの料理と向き合います。
 賛美歌による中断は、事の楽しさを中断するものではありませんでした。
逆にそれは新鮮な話題とともに料理をいっそうひきたたせるものだったのです。
食事に対する旺盛な意欲をもつ文化と宗教とが出会った面白いスペースだと思いました。


 さて、そんな新鮮な食事体験も9時半にはクローズとなります。
ここセントロは歴史の街でもあります。
 酒を嗜む者にとって、この街で酒の歴史を育んだ場所を忘れてはなりません。
目指すは修道女レストランの2〜3Cuadra(区画)先にあるバーです。 
 “ Hotel Maury ”というホテルの1階にそのバーはあります。
古いですが格式のある建物は時代を感じさせ、ソファやテーブルにも落ち着きがあります。
 世界でどの程度知られているのでしょうか、定かではありませんが、少なくとも酒飲みの「通」の間では知られた“ Pisco Souer ”。
 ブドウを蒸留して作るペルー特産の強い酒ピスコ、それをサワーにしたものです。
そのピスコ・サワーのここは“発祥のバー”なのです。
 かつて一流の商店、ブテイック、レストラン、ホテルが軒を連ねていた地区です。
このバーに連れていってくださったSra.坂口の記憶でも、子供のころセントロを歩くには女性は帽子と手袋、男性は帽子にステッキを持たないと行けなかったそうです。
 そしてこのホテルも一流ホテルとして繁栄していたそうです。
買い物、食事、社交などでこの街に集い、夜人々が優雅な時を過ごしていたであろうこのバー。
 そのひととき、ピスコを一層おいしく嗜む工夫の中から“ Pisco Souer ”はこのバーで誕生したのです。
 その後、1960年代末の農地改革の失敗から、70年代に入って地方からリマへ人口がなだれ込み、セントロに露店や物売りが急増しました。
 それにつづくスリ、ひったくりの日常化でセントロは荒れて客が遠のき、このホテルも今はひっそりとしてかつての面影はありません。
 そしてその1階にあるこのバーも、今はピスコ・サワーのルーツとして“通”の間での象徴的存在ではあっても、かつてのような華やかな雰囲気は感じられません。

 ピスコ・サワーはペルーのどんなレストラン、バーでも必ずハード・ドリンクの定番になっています。
 その作り方はそれぞれのレストランやバーの企業秘密です。
このバーはその原点として、いまも“知る人ぞ知る”存在なのです。
 さして広くはありませんが、かつての華やかな時代を生きぬいてきた由緒あるこのバー。
出されたピスコ・サワーは確かに味わい深く、心なしか古き良き時代を彷彿とさせるようでした。
 老ウェーターは「自分はここにもう、40年勤めている」と誇らしげに語り、客とのやりとりや動作の一つ一つも決して急ぐことなく、その振る舞いはこの空間に刻まれた歴史を確かめるかのようです。
 もし本体のホテルがなくなったとしても、ピスコ・サワー発祥のこのバーだけはいつまでも残ってほしい〜。
 そのために「地球の歩き方」も、その情報を少しでも多くの読者に知らせ、このバーがいつまでもピスコ・サワーの愛好家のために生き残るようサポートしてほしいと願うだけです。
       



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